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風呂桶作って73年…最古の店の職人、丹念な手仕事は健在/横浜

2010年9月2日

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風呂桶を作り続け、74年という竹内さん=横浜市神奈川区平川町

風呂桶を作り続け、74年という竹内さん=横浜市神奈川区平川町

 横浜市神奈川区平川町に、大正時代から続く風呂桶屋がある。市内の浴槽業者でつくる「横浜浴槽設備組合」によると、戦後に数百人いた桶職人も、現役で続けているのは2人のみ。「竹内風呂桶店」は、職人がいる店としては市内最古の歴史を持つ。世の移ろいにも泰然自若。身に染み込んだ手仕事でかんなくずにまみれる。2代目店主の竹内正治さん(87)は「店は自分の代で終わり」と言いながら、丹念に桶を作っている。

 「人が月に行く時代に、こんな商売やっていたってしょうがないんだ」。老職人は、深いしわが刻まれた顔を揺らして笑った。

 神奈川区の県立神奈川工高のほど近くにある、竹内風呂桶店。猛暑の中、窓を開けっ放しにした作業場で、店主の竹内さんがシャツ1枚でかんなを手にする。

 「親父(おやじ)が桶屋を始めたのが大正7年。自分が生まれたのが大正12年。14歳から弟子入りして、今は87歳と半年だ」。黒光りする工具が歴史を語る。

 太平洋戦争にも“職人”として参加した。「終戦の1年半前、工兵になった。体が小さく、徴兵検査で『乙3種』のおれを呼ぶんだから、負け戦なんだと思ったよ」。戦地には行かず、木船の修理を担った。

 「終戦後は、そらぁ忙しかった」。大空襲で焼け野原になった横浜が再興へ踏み出すと、注文書が山と積まれた。「昔の糊(のり)は米からできていたから、桶屋は自分でイモ食って、桶に米食わせろなんて言われてね」。桶職人は市内だけで数百人いた。

 大量生産、大量消費。安価なプラスチック製品の波にのまれた。「卸はやらず、地元に店を構えて、製作から修理、販売まで何でもやるのを『地桶屋』と言った。今は材料のヒノキやサワラも高いし、卸業者だって減った。仲間はみんなやめたり、死んだりよ」。風呂桶などの大仕事はあっても年に数件。すし桶や手桶、腰掛けなどをほそぼそと作る。

 「今は手桶なんて100円で買える。木の手桶は安くても3千円。うちに来るのは、高くても昔の情緒がいいって言う人だけ」。それでもやめないのは「健康と、ボケないためだよ」。両足の親指で桶を挟み、かんなをかける。美しい弧線が浮かび上がる。

 やりがいは「こらぁ、金をもらえる仕事だなと思えるものができた時だ。それはどんな職業でもそうだろうよ」。木くずにまみれた店内で、職人の誇りを込めた製品が芳香を放つ。「今は暇だから、人が来るとおしゃべりが長くなってね」。また、しわくちゃの笑顔をつくった。

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