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地下鉄サリン事件15年、横浜支部はいま/神奈川

2010年3月20日

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 看板は骨組みだけを残し、「オウム」の痕跡は見当たらなかった。かつて横浜市中区のマンションにオウム真理教の横浜支部があった。強制捜査、突然やって来た教団幹部、明け渡し訴訟。街は「あの日」から揺れ続けた。1995年3月20日、教団による地下鉄サリン事件から15年、反教団の先頭に立ったマンション住民の胸に去来するものは―。

意外な言葉だった。

「騒音は追い出すほどのものではなかったんだ。だから裁判も勝つとは思っていなかった」

 伊勢佐木町の繁華街のほど近く、大岡川を望む6階の自室で志賀準さん(65)が遠い目をしている。マンション管理組合役員として教団支部の立ち退きに奔走した、その人のつぶやき。「犯罪は一部の人間の仕業。ここの信者は何も知らされていなかった。危険なことはなかったはずだ」

□ □

カナリアを携えた防毒マスク姿の捜査員―。いまも目に焼き付く強制捜査の光景だ。地下鉄サリン事件から1カ月後、騒然の日々の始まりだった。

 2階の一室にヨガ道場ができたのは89年春。信者の出入りが増え、説法の声が階上に漏れ聞こえるようになる。

 道場に乗り込み、直談判の日々。らちが明かず、96年、明け渡しを求めて提訴した。「ただ、録音しようにも音が拾えない。だから裁判では『騒音』ではなく『不快な連続音』だ、と」。階段で寝泊まりする信者も目についたが、「あの部屋は出入り口が別。多くの住人は無関心だった」。

 事態が一変したのは99年暮れ、広島刑務所から出所した上祐史浩幹部(当時)がやって来てからだ。右翼の街宣車がマンションに押し寄せ、大音量で「上祐は出て行け」。警察による100人態勢の警備が続き、報道陣は昼夜を問わずたむろした。

 ふと気付いた。

 「右翼やマスコミ、警官たちの方がよっぽど騒がしいじゃないか。あの男だって、行き場がなくてここに来ただけなのに」

 それでも関心が高まれば、と自粛を求めることはなかった。

 地元が動く。政治家の旗振りで、周辺町内会と横浜中区オウム対策連絡協議会が発足。署名活動を行い、法相にも掛け合った。

 2000年9月、勝訴判決。オウムは去った。

□ □

現在は設計事務所が入居する「204号室」。見上げる志賀さんはどこか懐かしむ口調だ。

 民放テレビに毎週のように出演し、「何か面白いこと言ってくださいと頼まれ、出家信者はオウム食しか許されてないのに270円のシャケ弁当を食べてる、って」。公安調査庁も内部の情報を求め、接触してきた。

 いまも信者には共感も感慨もわかないが、結局、まともに接していたのは自分一人ではなかったかと思う。「周囲は遠巻きにながめ、マスコミは情報を垂れ流し、警察はただいるだけだった。だからおれがやらなければ、と走り回ったんだ」

 騒音も恐怖も感じていなかった。ならば、何がそこまで突き動かしたのか―。

 「分かり得ないものへの嫌悪感、かな。ただ出て行けと、聞く耳を持たなかったのは、こちらも同じだったが」

 当時の住民はほとんどが転居し、70室の半数が中国、韓国などの外国人となった。

 最近、騒音の苦情が寄せられた。「部屋を訪ねたら、まじめそうな中国人の男でね。ああ、これはオウムのときと同じだ、と。これからはもう少し、かかわり合いを持っていかなければと思っているんだ」 


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